どこまでできたら「良い品質」と言えるのか?

キットワークスの木下です。

 

ソフトウェアテストの成果のひとつとして「評価報告書」がありますが、当社が作成する報告書には、何をどのような環境でどのようなテストを行ったかをまとめる以外に、改善しきれなかった問題に対して代替案などの提案なども盛り込むようにしています。

当社では「いかに品質の良いソフトウェアに導けたか?」ということが重要だと考えているので、ただ単に仕様書通りに動作することをチェックして終わることは考えていません。

では「品質の良い」とはどういったものなのでしょうか?

例として「ギロチンのテスト」を考えてみましょう。

 

ギロチンの「要件」としては「人の首をはねることができる機構を有する」でしょうか?

「仕様書」としては、ギロチンの刃の大きさ・重さ、刃を持ち上げるための紐の長さや、刃を支えるレールの長さ、強度が書かれているでしょう。

そして、テストによって実際に試すことで「ギロチンの刃の大きさ・重さ、刃を持ち上げるための紐の長さや、刃を支えるレールの長さ、強度」の最適値を追求することになります。

 

通常は、これらを突き詰めた結果「良い品質」が出来上がります。突き詰めるためには、いろんな紐の長さや刃を支えるレールの長さ、大きさを用意して何度も試さなければなりません。

人の代わりとなる動物?も用意すべきでしょう。中世の時代だったら、死刑囚を何人も使って試していたかもしれないですね。

いや、そもそも「ギロチンは残酷だから、他の方法で処刑すべき」という議論が出てくるかもしれません。おそらく、消費者が求めているものは「他の方法」なのです。

こうなってくると、もうわけがわかりませんね。

 

結局のところ「良い品質」とは誰が作り、誰が評価するのか?によって変わってきます。ただ、実際は市場で売上という成果を上げたいわけですから、極端な話「不具合だらけでも市場に受けるもの」を作るのもまた「良い品質」なのです。

 

そしてどのような品質を目指すにしても欠かせないものは「提案と議論」となります。

 

キットワークスでは、「良い品質」の実現するための提案をご提供します。

まずはお問い合わせください

 

 

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